永遠の真理

なんか、宗教っぽいタイトルですが、
数学の世界では、一度証明が確認された定理は絶対に覆ることはありません。
世の中がどんなにかわろうと、科学がどんなに進歩しようと、数学の世界では定理は絶対です。
なんていうと、世の中絶対なんてものはないだろうという声が聞こえてきますが、数学の世界では定理は絶対正しいのです。
なぜなら、定理というのは、「ある前提がなりたてば必ずこの結果が導かれる」ということを表現したものです。
つまり、前提があって、結果がある。
前提が成り立たない状況では結果は保証されませんから、実は絶対に覆ることはないといいつつ、前提に依存した相対的な真理なわけです。
数学では、前提から結論を導くだけで、その前提の妥当性だとか、現実性なんて気にしません。
だから、前提がいかに現実ばなれしていても、ある前提を仮定したかぎりにおいては、結果がこうなるというのは常に正しいわけです。
その点他の科学は異なります。あくまで現実があります。
どんなに精緻な理論でも現実に合わないものは、正しくないのです。
「もし現実がこうだったら、こうなる。」
という仮定の話をいくら積み上げても、現実がそうでなければ、話になりません。
そういう意味で、数学は現実から逃げているともいえます。
あえていうなら、典型的な机上の空論です。
もちろん現実に即した前提をおけば、現実に即した結果が導かれるのはあきらかですが、その前提が現実に即しているかどうかというのはあくまでも数学の外の話ですから、実はその前提が現実に即していなかったというのはよくある話です。
たとえば、ニュートン力学は当時の物理学の測定精度の中では、とても現実をよく表すものでした。
しかし、現在の測定精度では、ニュートン力学では誤差がでてしまいます。
それを現実により近づけたものが相対性理論です。
結果、ニュートン力学は相対性理論的な力学の近似となってしまいました。
相対性理論だって、現実を完全に記述しているかどうかはまだわかっていません。というか、多分永遠にわからないでしょう。
もしかすると現実はもっと違った理論が必要で、相対性理論はその近似であったということになるかもしれません。
同様に他の科学でも、同じことがいえます。
新しい実験事実や観測事実がでてきたらこれまで定説であったものが、近似になってしまうことはよくある話です。
もちろん、近似という範囲では、とてもよい近似であったから定説になったわけで、間違いではない場合がほとんどですが、中には完全に否定されてしまう理論もあったりします。
しかし、数学の定理は、どんな実験結果がでようとそんなことには関係なく、「もしこういう前提が成り立てば、こうなる」としかいわないので、常に正しいのです。ずるいですね。
そういう意味で、数学というのは、自然科学の中で、一番自然からはなれた科学かも知れません。

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