入試数学の存在意義

別のところで、入試数学が生活の役に立つのかという話があったけれど、
数学は、生活のいろいろな場面で縁の下の力持ちというか、
それがなくては現代文明は成り立たないほど重要なものであるのは明らかなのだが
こと入試数学に限ってみれば、はっきり言って何の役にも立たない。
あえて言うならあれはパズルでしかない。
もちろんパズルが悪いといっている訳ではなく、楽しみの一つとしては意味があるけれど
それがなくても現代文明や社会生活には何も困らない存在であることは事実。
極端な言い方をすれば、音楽だって、文学だって、なくても生きていくだけなら困らない。
では、なぜ大学入試に数学が存在するんだろうか。
普通の学部では音楽の試験などはない。(音大はもちろん別ね)
大学はパズルができる学生がほしいと言うのか?
それは半分事実であるが、本当に一番重要なところは
数学という厳密なルールのあるパズルをちゃんと理解できて、ちゃんと解答できるということは
文章を理解して、物事を論理的に考えて、筋道たてて説明できる。
また、そのとき、抜けがないか注意してすべての場合をちゃんと考える訓練ができている。
ということを意味している。
それは実生活にはとても大切なことである。
すべての科学、(人文科学、自然科学、社会科学の別なく)において必要な能力である。
科学の世界では、何事によらず論理的に考えて、それを論理的に説明できなければ、なんの研究もできない。
もちろん芸術の世界などは、論理ではなく感覚が重要な場合もあるだろうが、一応科学という範囲では、論理がすべてである。
そのどんな科学の世界でも通用する論理的なものの考え方、説明の仕方の訓練ができているかどうかを試すのに、数学の解答をさせるのがもっとも簡単な方法だというのが、入試に数学が存在する一番大きな理由だと思う。
逆に、入試のためだけでもいいから、数学の勉強をすることで、自然とそういう論理的な考え方や説明力がついてくるので、入試の科目に数学を入れることだけでも、そういう学生を育てられるという意義がある。
入試数学なんて、将来なんの役にも立たないものをなんで勉強するんだという疑問を持っている人がいるみたいだけど、入試数学が役に立つのではなく、入試数学に向けての勉強が、その後の人生すべての役にたつんだと思う。
もちろん数学の問題が解けなくてもかまわない。
要はそういう論理的なものの考え方が重要なのであって、ほかの方法でそれを身につけられるなら、それで全然困らない。
ただ、それが身についていれば、入試数学なんて簡単なので、数学の問題も解けるようになる。
もちろんパズルだから、定石の様な考え方もあるし、たくさん問題を見ていると似たような問題を思い出して素早く解けるようになるのは事実だけど、時間を考えず解けるかどうかという意味では、別に経験もこなした数も、知識も関係ない。
極端に言えば、高校数学程度なんだから、小学校程度の知識からスタートしても、時間さえかければ必ず解答できる。
たとえば、2006年京大の文系前期の問題5なんかは、何の知識も無しに解答することができるいい例となっている。
知識がなくてもいいといってももちろん最低限の言葉の意味くらいは知っていないと困る。
といっても数にしたら、たぶん50もないのでほかの科目などに比べたら、ないに等しいといえると思う。
高校生にもなれば、日本語の単語は数百数千と知っているはずなので、それに比べれば微々たるものである。
世の中には
「大学入試で数学を選択した人は、選択しなかった人より、社会人になってからの年収が約100万円多い」
なんて調査をした人がいるらしい。
ほかに英語を選択した人は、とか国語を選択した人は、とか歴史を選択した人は、という調査がなければあまり意味がない様な気もするけれど
とりあえず、入試数学が直接生活の役に立つことは望めないけれど
人生を質、量、両面で豊かにするのに、ちょっとくらいは役に立っているんじゃないかなと思う。
もちろんそれは、ほかの勉強にも共通していえることなので、別に数学に限った話ではないけれど

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