信じるということ

ディスカバリーチャンネルという衛星放送やケーブルテレビで放送されているチャンネルがある。
このチャンネルでは、いろいろ科学的な話などをおもしろおかしくやってくれるのでとても気に入っている。
最近見ているテレビはほとんどこのチャンネルだろう。
さて、このチャンネルに、サイエンスディスカバリーというシリーズがあってその中で、「宇宙人はもう来ている」という番組が有った。
過去の宇宙人目撃事例や宇宙人に誘拐された人の話などを取材した番組だったのだがその中で、何度も出てきた言葉に「信じる」というものがあった。
曰く、「宇宙人の存在を信じる」、「宇宙人に誘拐されたという証言を信じる」等々
「信じる」ってどういう事だろう?
日常的な使い方として「彼の言うことを信じる」「神の存在を信じる」「霊の存在を信じる」等々
「信じる」というのは具体的に何をすることなのだろうか。
元々は「信ずる」が正しいみたいだが、ここでは「信じる」でも良いことにしておこう。
大辞林第二版によると
 (1)疑わずに本当だと思い込む。心の中に強く思い込む。
 (2)疑うことなく、たよりとする。信頼する。
 (3)神仏などをあがめ尊び、身をまかせる。信仰する。
という意味だそうだ。
つまり、何かを疑わないことらしい。
疑わないというと肯定的な感じがするが、要するにそこで思考を停止することに過ぎない。
つまり、「信じる」というのはそれ以上考えるのが大変だから、考えるのをやめて受け入れてしまうということになる。
当然、思考をし続けて合理的な判断により結論を出すのは大変だし、場合によっては合理的な判断はできない事があるので
ある所でその思考を停止する必要がある。
その思考を停止したところで、「判断できないからわからない」となる
そして、「わからない」となったとき
「これまでの経験、感情などによってそれを真実と判断する」
「判断を保留する」
という二つの選択肢がある。
しかし、人間はどうも判断を保留するのが嫌いらしい。
そこで「疑う理由がなければ真実と判断しよう」となるらしい。
そうやって、「自分で疑う理由を見つけられない言明はすべて真実」と判断され、結果それが「信じる」という言葉になってくる。
つまり「信じる」という行為は「自分の思考力、判断力を十分であると判断し、それによって疑えないのだから真実であろうと推論する」
という行為となる。
かなり傲慢不遜な態度じゃないだろうか?
謙虚な立場に立てば、「自分の判断力などたかがしれている、自分が疑いを挟むことができなかったとしてももしかすると本当は間違いであるかもしれない」と思えば、「信じる」ではなく「わからない」という結論になるはずである。
それでも判断をしなければならない場合、過去の経験等からその言明は正しい確率が高いであろうと判断される場合は
正しいと判断し行動することになる。
それは信じるということではない、さいころを振ったとき2以上の目がでるだろうと推測するのに似ている。
誰も「さいころを振ったとき2以上の目がでると信じる」とは言わないはずだ。
別にすべての人が嘘つきだと言っているわけではない。
本人が嘘とは思っていない言明が間違いであることはいくらでもあり得る。
人間万能じゃないんだから誰の言うことだって間違っている可能性はある。
嘘つきとは、意図的に自分の知っている事実とは異なる言明をする人であって
自分がそうだと知っている事実をその通りに言う人は嘘つきではない。
しかし、嘘つきでなくとも言っていることが真実ではないことはたくさんあるという、ただそれだけのことである。
だから私は「信じる」という言葉は極力使いたくない。
信じるなんて傲慢な態度をとれるほど自分を「信じていない」・・・(^^)

カテゴリー: なんとなく パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です