安全と危険と

まず最初に書いておかねばならないのだが、私は現在の原発の状況が安全だとか危険だとか言えるほど詳しいことは知らない。
いろんな人のいろんな話を聞いて今は、特になにか特別な行動をするタイミングじゃないと思っている。
ここから書くのは一般論
何かがあったとき、それについて利害関係の無い人がその事象について安全とか危険とかいう場合どちらが言いやすいだろうかという話。
●危険だと言うのは誰にでも言える。
何も調べずに、何も考えず、ただただ危険だと言い続けるのは簡単なこと
その後何年か経ったとき、結果として危険だった場合は、「ほら見ろ危険だっただろう」と言えるし、結果として何も起こらなかった時は、「自分が危険だと主張したから危険が回避されたんだ」と言える。
これほど安直な道はない。
危険だと言った結果誰かがより危険な行動を取ったとしてもその責任を問われることはない。
●振り返って安全だと言うのはどうだろう。
何も考えず何も調べずに盲目的に安全だというのは簡単だろうか、
もし後で危険だったことがわかったとしたらどうなるだろう。
何の根拠も無く安全だと主張していた人は、周りからどういう目で見られるか、安全だと言い続けたから対策が取られなくて危険を招いたと責任を追及されてしまうかもしれない。
何も無かったとしても、安全だって言ってたのだから当然だろうと言われてしまって特にありがたいとも思われないだろう。
安全だと言ったことで別の危険を避けることができたのかもしれないがそんなことは誰も考えてくれるはずがない。
つまり盲目的に安全だと言うことは自分にとって何もいいことはない。
私は思う。
安全だと言い切る人は、利害関係者かバカかのどちらかだろう。
訳もなく危険だとだけ言っている人は無責任な人なんだろう。
具体的な数値を上げて、こういう条件ならこちらの方がリスクが高い、こういう条件ならこちらという風に情報源を明示している人は少なくとも誠実な人じゃないだろうか。
安全か危険かなんて、二つに分けられるような話じゃないんだから。
自分もそういう誠実な行動を取りたい。

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